二本松藩士の墓
にほんまつはんしのはか
 幕末の水戸藩では、天狗党と諸生党の党争が起こり、天狗党の攻撃から太田の街を守るため、その防御の任についたのが二本松藩士916名でした。この周辺地域で天狗党と幾度かの交戦があり、10数名の戦死者が出、その戦死者を埋葬したところがこの地です。太田の街の人々は、二本松兵の身命をおしまぬ働きにより、太田が戦火から免れたことに感謝し、当時の町民の寄付により碑が建てられています。